ラストラン有馬記念で7着に終わったブエナビスタ。引退式に詰めかけた6万人のファンの前でブエナビスタが流した涙の意味は「惜別」なのか「無念」なのか。
ブエナビスタの思いを辿ってみましょう。

ブエナビスタは2016年3月14日に北海道早来町ノーザンファームで生まれました。ブエナビスタ(Buena Vista)の名前はスペイン語で「素晴らしき絶景」に由来しており、アメリカや南米にはこの名前を持つ地が多くあります。
馬主はサンデーレーシングで募集価格4,000万円、40口で募集されました。ちなみにブエナビスタの生涯獲得賞金は約14億円。一口賞金は約3,800万円にものぼりました。ニュースキャスターの草野仁氏もブエナビスタの一口馬主として知られています。

競走馬としてのブエナビスタは、光り輝く成績のなかにも「不運」の影がつきまといました。牝馬クラシック3冠をかけた2009年秋華賞では2着に入線したものの、ブロードストリートの進路を妨害したとして3位に降着。2010年、天皇賞(秋)を勝利後に挑んだジャパンCでは1位で入線したものの、まさかの走行妨害で2位に降着。
この降着がブエナビスタの走りのリズムを大きく狂わせたといえるでしょう。秋華賞の後のエリザベス女王杯3着、有馬記念2着と惜敗が続きました。さらに影響が大きかったのがジャパンCの降着で、その後翌年のジャパンCまでの1年間1度も勝てず、勝てない時期は衰えへの懸念が多く聞かれるようになりました。

この勝てない時期がブエナビスタの強さを曇らせてしまいました。ウオッカダイワスカーレットと牝馬最強世代を担ってきたなかで、降格はあったにしろ世界の強豪と戦うジャパンCを2回1位入線した牝馬はブエナビスタだけブエナビスタの実力はまだまだ過小評価されているのではないでしょうか。

引退レース2011年有馬記念。返し馬が終わり他の馬は輪乗りを始めたにもかかわらず、ブエナビスタは遠くを見つめたまま、鞍上の岩田康誠騎手が促しても動こうとしませんでした。これを「週刊ギャロップ」初代編集長の芹沢邦雄さんはすでにその姿は勝負師でなかったというコメントをしています。
確かに今までになかったその振る舞いはこのレースが最後だということがブエナビスタにもわかっていたようにみえます。しかし、このブエナビスタの振る舞いは「燃え尽きた」のではなく、「無念」の表れともいえるのではないでしょうか。2度の降着、走っても走っても勝ちきれないレース。自分の力量より低く評価されていると感じていたのかもしれません。そしてジャパンCでようやく勝利したのもつかの間、レースから引退してしまう。その無念の思いがあったのではないでしょうか。

一方で、これほどファンから愛されていた馬もいなかったでしょう。勝ちきれないレースが続いても懸命に走るブエナビスタの姿にファンは心打たれたに違いありません。引退式に集まったファンは約6万人。史上最強馬ディープインパクトの引退式に集まったファン約5万人をはるかに超える人数でした。
そして、引退式では多くの人が涙しました。トラックマンの松本ヒロシさんは出演していたテレビ番組でブエナビスタが有終の美で飾れなかったことの無念さを涙ながらに語りました。また、引退式の後に井森美幸さんが岩田騎手をインタビューし、岩田騎手が「ブエナはファンの前で涙を流していたんですよ」と涙ぐみながらいい、井森美幸さんも涙を流していました。このようにブエナビスタとの別れにたくさんに人が涙を流したのです。

引退式でターフの直線をゆっくり往復する間、ブエナビスタは何度もファンがいる外ラチをうるんだ眼で振り返り、鞍上の岩田騎手がやさしくブエナビスタの首をポンポンと叩きました。そして関係者の表彰式の時、ブエナビスタがはっきりと涙を流したのをカメラがとらえていました。馬が涙を流す時、多くの場合は涙管狭窄など、目が痛いときだといいますが、牧場では子供が入厩して母親と別れる時に涙を流したという話も聞かれます。
ファンにはブエナビスタの涙が別れを惜しむ涙にしか見えなかったに違いありません。