1996年3月9日(土)早春のうす曇りの空の下、土曜日では異例の6万人近い観衆が阪神競馬場に詰めかけていました。

第44回阪神大賞典。天皇賞春の前哨戦として使われることの多いレースですが、この年は2頭一騎打ちの、壮絶な叩き合いでの激戦で、競馬史上に残る名勝負として人々の心に強く残っています。

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名勝負の立役者は?

ナリタブライアン 伝説

その壮絶バトルを繰り広げた2頭のうちの1頭はマヤノトップガンです。

3歳(現在表記)の時は春のクラシックレースには間に合わなかったものの、菊花賞とその年の有馬記念を勝利し、年度代表馬に選ばれました。

翌年も宝塚記念(G1)に勝利し、その時点で最も強い馬と言われていました。

もう1頭がナリタブライアン

前年の同じレースで2着のハギノリアルキングを7馬身差で圧勝した後にナリタブライアンを襲った股関節炎。

この怪我が史上最強と言われたこの馬の栄光に影を落とし、翌年春を棒に振った上に、秋の天皇賞秋は12着とそれまでのこの馬を知っている誰もが目を疑う惨敗を喫しました。

その年の有馬記念ではマヤノトップガンに敗れ、4着に終わったものの、徐々に調子をあげ、復活が待ち望まれていました。

奇しくも両馬ともにブライアンズタイム産駒で、3歳時は距離が短いレースで苦戦し、中距離で才能が目覚めた馬同士。

そして、両馬ともに菊花賞馬で芝3000mの阪神大賞典は双方が自分の強みを活かせる恰好のレースでした。

当日の1番人気はマヤノトップガンで2.0倍。ナリタブライアンは、前年秋にふがいない成績にもかかわらず、復活への期待で2番人気2.1倍。マヤノトップガンと甲乙つけがたい人気に推されます。

レースの展開は?

スタートから序盤はスティールキャストが逃げ、3000mらしいスローな展開。マヤノトップガンがゆったりと4番手につけ、それをみるようにナリタブライアンが続きます。

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すると、第三コーナーで早くもマヤノトップガンが抜け出し、ロングスパートをかけます。軸のぶれない、伸びやかで、ダイナミックなフォーム。

直線に向いた時はマヤノトップガンが主導権を握った形で、ナリタブライアンの敗北が頭によぎった人も多かったでしょう。

しかし、そこからナリタブライアンは全盛期のように、ギアを上げてマヤノトップガンに並びます。

後続の馬がみるみるうちに退く中で、両馬の叩き合いが続きます。マヤノトップガン鞍上は田原成貴騎手、ナリタブライアンの鞍上は武豊騎手。

新旧天才の火花が散るような戦いが直線400mの間に繰り広げられます。

競技場を包む大歓声が遠くに聞こえ、両馬のひづめの音、息遣い、鞭の音がすぐそばで聞こえるような行き詰まる展開のなか、

実況アナウンサーが直線で「首の上げ下げ、首の上げ下げ!」を叫び続けた通り、まさに頭差で決着がつき、ナリタブライアンの復活劇となりました。

前年の同レースではナリタブライアンが3分8秒2で、2着と7馬身差。このレースでは3分4秒9で3着のルイボスゴールドとは9馬身差。前年度のレースとは約4秒も速いレース決着でした。

ナリタブライアンは本調子じゃなかった?!

田原成貴騎手は、「ナリタブライアンが本調子ならマヤノトップガンはスタンドまでふっとばされたよ」といい、

武豊騎手も「勝つには勝ったが、あれっという感じもした。」とコメントしたこともあり、「ナリタブライアンが全盛期ならもっと差をつけたはず」という声が多かったのも事実です。

しかし、前年レースと4秒差、3着と9馬身差という結果から見ても、マヤノトップガンがナリタブライアンの能力と自身の能力を極限まで引き出し、

また、田原騎手と武騎手が水面下の火花を散らして互いの能力を最大限に引き出した名勝負だったのではないでしょうか。

この年は土曜日開催充実化ということで、このレースも土曜日に開催されました。「こんな注目レースを土曜日に開催するなんて」という声も多く、翌年より日曜開催になっています。

3歳の時は大差で圧勝したイメージが強かっただけに、ナリタブライアンがマヤノトップガンというライバルと競り合いで制したこのレースはより強くファンの心に残っているのでしょう。

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