引退後消息不明となっていたハルウララですが、千葉県御宿町の牧場で余生を送っていることがわかりました。引退馬の9割が殺処分となる競走馬の実態があるなかで、ファンは胸をなでおろしたことでしょう。
引退してからのハルウララの足跡を見ていきたいと思います。

引退はいつ?

2004年8月3日にハルウララ・チャレンジカップに出走し、高知競馬所属の半妹ミツイシフラワーと兵庫競馬所属の半弟オノゾミドオリとの対決が実現しました。結果はオノゾミドオリが優勝、ミツイシフラワーは8着、ハルウララは5着となりましたが、全国の地方競馬でこのレースの馬券が発売されたこともあって、7,900万円を売上ました。盛り上がりをみせたレースでしたが、この後で関係者によって2005年3月で引退すると発表されました。

その後、ハルウララは栃木県黒磯市にある那須トレーニングファームへ移送されます。これは引退式に向けて出走しつづけることでなんとか1勝を、と考える厩舎側と、引退レースを勝たせるために体力づくりをさせたいと考える馬主側で意見の相違が発生し、馬主側が半ば強引に栃木に移送したと言われています。
宗石大調教師は、インタビューの中でなかなか勝てないハルウララについて聞かれた時に、「勝負は時の運だから。レースを無事に終わって厩舎に戻ってくれたらそれでいいんだ。」とコメントしていることからも、レースに出走することで勝つチャンスをつかみたいという姿勢がうかがえます。

2005年1月に馬主と厩舎で話し合いがもたれ、宗石調教師がハルウララの出走が可能か健康状態をチェックした上でレースに復帰させることで合意を得ました。そして、1月の記者会見で1月中にハルウララを高知に戻し、3月の引退レースに出走することを発表したのですが、馬主側がハルウララの体調がまだ回復していないということで再度延期になってしまいます。その時に滞在していた那須トレーニングファーム場長によればハルウララは高知競馬レベルで勝っておかしくない状態にまで調教されていたとされていますが、結局レースに出走することはないまま2006年に登録を抹消され、引退となってしまいました。

引退してからの転々とした日々

2006年には千葉県勝浦市の保養施設「ブルーベリーヒル勝浦」で引退競走馬の再利用とセラピー活動を目的として馬主が設立したNPO団体でセラピー活動に使役されていたとされています。その後、2009年に繁殖牝馬として北海道日高町に移送されます。ディープインパクトとの交配計画も報道されましたが、当時でも900万円と高額な種付け料のためその計画は実行されず、その後長期に渡り消息不明となります。

やっとたどり着いた安息の土地

しかし、2013年に馬主が千葉県御宿町にあるマーサファームにハルウララを預託したことがわかりました。マーサファームに来たばかりのころのハルウララは「気が小さいのにエラそうな馬」で気性が難しく、スタッフとなじめませんでしたが、徐々にコミュニケーションがとれるようになったといいます。
しかし、半年ほどで馬主から月7万円の預託料の支払いが止まっていまいます。預託料が支払われない限り経営が続けられないため殺処分も考えましたが、これまで人間のエゴに振り回されてきた馬が穏やかな余生を送れないかと考えた結果、マーサファームが「春うららの会」を設立し、3000円の会費を募りました。会の設立に関しては、引退馬協会に相談し、本当にこの馬がハルウララなのか獣医と健康手帳を確認したといいます。全国から申込みが殺到し、ハルウララは引き続きマーサファームで余生を送ることになりました。

独りぼっちにするとピーピー鳴き、仲間がくると尻っぱねをして20歳近くとは思えない軽やかな動きを見せるハルウララ。「無事是名馬」の究極の形なのかもしれません。