中央競馬のクラシックレース出走に必要となるクラシック登録。笠松競馬場で破竹の勢いで勝利を続けるオグリキャップはこの登録をしていませんでした。そのために三冠の道を閉ざされてなお、オグリキャップが中央競馬で人々を魅了した数々の伝説をご紹介しましょう。

一度も追うことなくレコード決着「ニュージーランドT」

武騎手のインタビューによれば、オグリキャップが笠松競馬場から中央競馬へやってきて最初に出走したレース、ペガサスステークスではミリオンプリンスに騎乗して対戦しました。しかしその当時はオグリキャップについて強い馬だと思ったもののそれほどの印象はなかったと言います。
その武騎手がすごい馬だと思い始めたのが中央競馬の4戦目ニュージーランドT(東京芝・1600m)です。それまでオグリキャップは重賞3連勝していましたが、クラシック登録をしていなかったためダービーに出走することができず、代わりにこのレースに出走しました。
単勝1.2倍という圧倒的な人気でスタートしたオグリキャップは、中盤からレースを行い徐々に前に上がると、直線を向いてから先頭に立ち、そのまま後続を突き放して7馬身差のレースレコードで勝利しました。
レース前オグリキャップは疲労が蓄積して注射を打ちながらトレーニングをしており、体調に不安を抱えていましたが、この日騎乗した河内洋騎手は最後の直線で一度もオグリキャップを追うことなくトップスピードでゴールしました。この時のタイム1分34秒0はこの年の安田記念のタイム1分34秒2をも上回っていました。

南井騎手感動の男泣き「マイルCS」

1989年の天皇賞(秋)は勝てたはずの2着でした。そのため、このマイルCSはオグリキャップにとっても、鞍上の南井克己騎手にとっても絶対負けられないレースでした。
スタートでは出遅れ、内を走っていましたが、第3コーナーで5番手から外へ持ち出します。しかし、手ごたえも怪しく、前に壁ができてしまいます。対するライバルの武豊騎手が騎乗するバンブーメモリーは抜群の手ごたえで上がっていきます。直線ではバンブーメモリーの勢い衰えず、このままオグリキャップが負けると思われたその時、南井騎手はもう一度馬を内に戻します。そこから怒涛の追い上げが始まり、バンブーメモリーと同時にゴール。ハナ差でオグリキャップが勝利し、南井騎手は勝利ジョッキーインタビューで「オグリが助けてくれた」と男泣きしました。

無印を覆した勝利「有馬記念」

オグリキャップのラストランとなった1990年第35回有馬記念。中山競馬場の入場者数は17万7779人となりました。この記録は2016年の今でも破られていません。武騎手はインタビューでその日の競馬場の様子を「馬場からスタンドを見た時にひとつも隙間がなく、異様な光景だった」とコメントしています。ゴール板付近はすし詰め状態で、有馬記念発走1時間前には馬券を買いに行くと元の場所に戻れないほどだったと言います。競馬専門紙ではオグリキャップはほとんど無印でしたが、ファンがオグリキャップの単勝馬券を買って人気を後押しし、最終的に5番人気となりました。
スタートからスローペースの中、6番手で追走し、徐々に位置を上げていきます。そのままジワジワと先頭との距離を詰め、先頭に立ったのは残り2ハロン。18万人の歓声に後押しされるようにオグリキャップが後続を突き放した時、実況した大川和彦アナウンサーが「オグリキャップ!オグリキャップ!」とオグリキャップの名前しか呼ばなかったため、解説の大川慶次郎氏が他の名前も実況するよう諭す意味を込めて、直線オグリキャップに迫っていたメジロライアンの名前を「ライアン!ライアン!」と叫んでいたと言われています。

武騎手との相性は?

前走のジャパンCや天皇賞秋で惨敗し、衰えているオグリキャップが、奇跡の勝利をあげることができたのは、武豊騎手との相性がよかったからだと言われています。第4コーナーで手前を変える時に左から鞭を入れ、さらにオグリキャップが内にもたれるのを修正させるために右から鞭をいれなければならなかったため、過去には手前を変えることができなかったレースがありました。そこで武騎手は、オグリキャップの顔を外側にむけることで鞭を入れずにもたれる癖を修正しました。

ファンにも、騎乗した騎手にも強烈な印象を与えたオグリキャップの伝説は今なお語り継がれています。