東日本大震災の年の2011年、史上7頭目となる三冠馬となったオルフェーヴル。「日本がこんなに大変な時期に競馬にうつつを抜かしてはいけないのではないか?」という雰囲気の中で、目の覚めるようなレースを毎回展開し、競馬を盛り上げてくれました。そして、2016年時点ではオルフェーヴルに続く8頭目の三冠馬はいまだ誕生していません偉大でいたずらっこの唯一無二の競走馬オルフェーヴルはどんな性格だったのでしょうか。

オルフェーヴルは社台コーポレーション白老ファームで生まれました。オルフェーヴルという名前はフランス語で金細工師(Orfèvre)に由来しています。牧場にいたときは常に遊び仲間を探して走り回っており、そのころから突出した身体能力が評価されていました。

2歳から3歳春のスプリングS(G3)のころまでは陣営からは「性格が幼い」というコメントばかり。デビュー戦は危なげなく勝利したものの、ゴール直後に池添騎手を振り落としてしまいました。ゴール直後に暴れるのは後々まであったようで、主戦を務めた池添謙一騎手は「オルフェーヴルに乗ったレースで勝利してガッツポーズしたのはダービーだけ。振り落とされるかと思うと怖くてガッツポーズできなかった。」とインタビューでコメントしています。

オルフェーヴルを最強の競走馬として育て上げた池江泰寿調教師のコメントにも苦労がにじみます。オルフェーヴルを今まで担当した厩務員に加えて、父・ステイゴールドの荒い気性をよく知る厩務員にも角馬場のフラットワークに乗ってもらうような工夫をしました。ステイゴールドをよく知る厩務員が極力オルフェーヴルを邪魔しない対応をしたことでオルフェーヴルが人を意識しなくなったといいます。こうして今まで好き勝手にやっていたオルフェーヴルが人の指示を少しずつ聞くようになりました

また、スタリオンの関係者によると「ふり幅が極端に大きい」といい、例えば、前方に気になるものがあると馬は立ち止まるが、オルフェーヴルの場合ずっと後ずさりを続け、乗り手がコントロールできなくなるのだといいます。どうやら気が済むまで延々とやり続ける性格のようです。

ラストランの有馬記念では、ピークを前走の凱旋門賞に持って行った分、8割ほどの仕上がりだったにもかかわらず、8馬身差の圧勝でした。池江調教師は「いい意味でも悪い意味でも裏切るのがオルフェ。最後にいい意味で裏切ってくれてオルフェらしいレースだった」と語りました。最後の最後までオルフェーヴルの気性が全面に出たレースは、ファンの心にいつまでも残ることでしょう。