1998年10月、秋の陽光を浴びた東京競馬場は、かつてない熱気に包まれていました。

毎日王冠(G2・芝1800m)は天皇賞秋の前哨戦として使われることが多いレースで、例年強豪が出場しています。しかし、この年ほどのドリームレースはなかったと言われています。

夢の3強対決の立役者とは?

そのレースの立役者が3頭います。1頭はグラスワンダー。2歳(当時の3歳)で挑んだ朝日杯3歳S(G1)を圧勝した後に骨折し、10か月のブランクを経て復帰戦として選んだレースがこの毎日王冠でした。「怪物」と呼ばれ、朝日杯3歳Sを圧勝したこの馬への期待感が長期休養明けの馬に対してとは思えないほどの人気(2番人気)に表れていました。

もう1頭はエルコンドルパサーです。前走はNHKマイルCで無敗のG1馬となり、外国産馬で出走レースが限られるなか、夏の休養を挟み、満を持してこのレースに出場を決めました。実はグラスワンダーもエルコンドルパサーも的場均騎手が主戦を務めていましたが、「今の実力はエルコンドルパサーの方が上だが、将来性を考えて」と3週間悩んだ末にグラスワンダーを選択しました。そのためエルコンドルパサーには蛯名正義騎手が騎乗し、引退まで主戦を務めることになりました。

最後にサイレンススズカです。このレースの前の年、1997年にデビューしたサイレンススズカはプリンシパルS(OP)を勝利したものの、日本ダービー9着、天皇賞秋6着、マイルチャンピオンS 15着と、3歳(現在の表記)は不遇の時期を過ごします。しかしその年の12月、香港国際Cで武豊騎手に乗り替わり、持ち前のスピードを活かした大逃げ策ととったことでサイレンススズカの圧倒的な才能が開花しました。翌年1998年はバレンタインS(OP)から宝塚記念まで無敗の5勝をあげています。

このように眠っていた才能が掘り起こされ、飛ぶ鳥を落とす勢いの古馬・サイレンススズカと3歳新進気鋭の外国産馬グラスワンダー・エルコンドルパサーの新旧対決の舞台となった1998年毎日王冠。この後サイレンススズカは天皇賞秋の出場を予定していましたが、当時外国産馬には天皇賞秋に出場する資格がなかったため、今年直接対決する唯一のレースとされ、G2レースにもかかわらず当日東京競馬場に詰めかけた観衆はなんと13万人。ファンファーレが鳴るとG1レースのような大歓声が上がりました。

後続に影も踏ませぬ圧勝

当日のオッズはサイレンススズカ1.4倍で1番人気、グラスワンダー3.7倍で2番人気、エルコンドルパサーは5.3倍で3番人気。サイレンススズカが出場を決めるとほとんどの馬が回避したため、当日は9頭と少数頭立てとなりました。その中で出場を決めたグラスワンダーとエルコンドルパサーには、サイレンススズカがいても勝ち負けとなるという絶対の自信があったのでしょう。

2番という絶好の枠を引き、スタートしたサイレンススズカは悠々と逃げ、前半1000m57秒7のハイペースとなりましたが、いつものサイレンススズカのレース展開とは異なり、圧倒的な逃げではなく、他馬を引き付けながらのレースとなりました。

そして最終コーナーではスタートに出遅れたものの早めに動いたグラスワンダーとビックサンデーに迫られて激戦が予期されたのも束の間、サイレンススズカは、直線で一気に突き放します。グラスワンダーは失速し、エルコンドルパサーが懸命に追い上げるものの、2馬身差まで詰め寄るのが精一杯。サイレンススズカの圧勝となり、フジテレビの青嶋達也アナウンサーの「どこまで行っても逃げてやる!」という実況が流れる中で、武豊騎手はG2レースとしては異例のウイニングランを行いました。

その後2度と対戦することのなかった3頭

その後エルコンドルパサーはジャパンCを快勝し、翌年の凱旋門賞2着に入るなど世界を舞台に活躍し、グラスワンダーもその年の有馬記念を勝利して怪物の才能を見せつけましたが、この3頭がその後二度と同じ舞台で戦うことはありませんでした。

3頭の名馬が奇跡的に相まみえた後にも先にもない夢の対決。毎日王冠のレースは今もファンの間で語り継がれています。