北海道・平取町。生まれ故郷である稲原牧場にサイレンススズカのお墓があります。広い敷地内にポツンとあるお墓は今も花を手向けるファンが後を絶ちません。

サイレンススズカは父サンデーサイレンスと母ワキアの配合により生まれました。当初ワキアは産駒が活躍し、生産者が権利を持っていたトニービンの種付けをしようとしましたが、トニービンが空いている日にワキアが発情しませんでした。そのため、当時まだ産駒がデビューしておらず種牡馬としての実力が未知数だったサンデーサイレンスを配合しました。

サイレンススズカが故障し、安楽死処分となった天皇賞秋のレースでは、サイレンススズカの母のワキアを見出して馬主の永井氏に紹介したエージェントがアメリカから来日して天皇賞を観戦していました。「ワキアの子供を見に来た」と楽しみにしていたその目の前での故障となってしまったのです。皮肉にも代わりに勝利したオフサイドトラップはトニービン産駒でした。

毎日王冠で戦ったグラスワンダーやエルコンドルパサーがサイレンスズカの死後に活躍したことにより、サイレンススズカの評価はより一層高まりました。グラスワンダーはサイレンススズカが宝塚記念を勝利した翌年に同レースを勝利しています。その時実況した杉本清アナウンサーは毎年宝塚記念のスタート直後に「あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか、私の夢はバンブーです」というように自分の夢を公開することが恒例となったのですが、その夢で語った馬はレースで勝てないということでも有名でした。しかしこの年に限っては、「私の夢は勿論、サイレンススズカです」と実況し、サイレンススズカの死を悼みました。

サイレンススズカの死は競馬を愛する人々に深い衝撃を与えました。NHKアナウンサーの星野豊氏はサイレンススズカの死を悼み、「天馬のように」を作詞作曲し、シンガーソングライターの因幡晃氏の歌でCD化となりました。

牧場にいたころはおとなしく、牝馬のような小柄な馬体でしたが、とにかく速く走る馬だったといいます。育成スタッフが言うことを聞かない馬をしつけるために雪が深く積もっている中に馬を入れて身動きできないようにしても、雪の抵抗をもろともせず前に進む推進力があったため、効果がなかったほどの強靭な肉体でした。

思い出の地で眠るサイレンススズカ。「天馬のように」の歌詞にある大空羽ばたく天馬のように今も空を翔けているかもしれません。