ディープインパクトを育てた池江泰寿調教師がインタビューの中で名馬の条件として、「大敗しないこと、故障しないこと」を挙げていました。サイレンススズカはその条件で見るならば名馬には当てはまりませんが、サイレンススズカ最強説は今でも根強くあります。最強である理由はどんなところにあるのでしょうか。

僅差の勝利がない

理由の1つ目は1998年4歳(現在表記)でのレースの着差です。天皇賞秋で競争中止となる前までのレースの着差を見てみましょう。
レース名:着差
・バレンタインS(OP芝1800m):4
・中山記念(G2芝1800m):1.3/4
・小倉大賞典(G3芝1800m):3
・金鯱賞(G2芝2000m):大差(11馬身)
・宝塚記念(G1芝2200m):3/4
・毎日王冠(G2芝1800m):2.1/2

このように最後の直線で競って勝ち負けというケースはなく、圧倒的な勝利を収めています。

中距離でもスピードが落ちない走力

理由の2つ目は大逃げにもかかわらず最後までスピードが落ちない迫力ある走力です。同じように1998年のレースについて前半3ハロン・後半3ハロンのラップを見てみましょう。
レース名:前半3ハロン-後半3ハロンのラップ
・バレンタインS:34.4秒-36.0秒
・中山記念:36.2秒-38.9秒
・金鯱賞:34.4秒-36.4秒
・宝塚記念:34.6秒-36.3秒
・毎日王冠:34.6秒-35.1秒

希代のスプリンター、タイキシャトルは前半33秒台から後半36秒台で走っており、これと比較してもずば抜けて速い時計ではありません。しかし、スプリンターが走るタイムで中距離を走ることができたところにサイレンススズカの強さがあります。武豊騎手によれば、たとえ天皇賞(春)(芝・3200m)に出走したとしても、道中で3秒差があれば勝利できるとコメントしており、距離延長もポテンシャルがあったと見られています。

悲劇のヒーローとしてのイメージ

理由の3つ目は成長途上で悲劇的結末を迎えたことによるファンの鮮烈な印象があります。

3歳で本格化する名馬が多い中で、サイレンススズカは遅く生まれた分、成長が遅れたとすると、4歳での活躍がまるで伸びやかに成長する3歳の馬のように人々は感じました。まだまだ成長できるという期待感が高まる中で1998年の天皇賞秋でまさかの左前脚手根骨粉砕骨折を発症し安楽死処分となったことで、まだまだ成長できたのではないかとファンの期待が最強説に込められているとも考えられます。

なぜクラシックレースを勝てなかったか?

それではサイレンススズカが最強という意見が多いにも関わらず、クラシックレースを勝つことができませんでした。どのような理由が考えられるのでしょうか。

まず、サイレンススズカの成績から見てみると、ディープインパクトやシンボリルドルフのように全勝街道をひた走っていたわけではありません。デビューも遅く、当時の4歳の新馬戦で勝利したものの、弥生賞(G2)では2番人気と評価されながらゲートをくぐって外枠発走となり、スタートで10馬身出遅れて8着に沈みました。その後500万下、プリンシパルS(OP)を勝利しましたが、続くダービーでは9着と惨敗といってもよい着順で終わりました。

サイレンススズカの素質への戸惑い

武騎手はインタビューで「他の馬だったら暴走ですが、サイレンススズカには普通の速さなんです」と語ったように、サイレンススズカの魅力はスタートから飛ばし、後半二の足が使えるそのスピードにあります。しかし、あまりにも規格外で陣営がどう操作したらよいか戸惑っている様子が3歳(現在表記)のレースから見て取れます。

1997年3歳のレースは弥生賞のように後方からのレースを試したり、勝利したプリンシパルSやその次のレースで9着となったダービーは先行策で勝負したり、逃げで展開を引っ張ったりと馬の脚質を試しながら少しずつ大逃げを勝ちパターンとする下地を作っていった時期だったのでしょう。先行策をとったレースでも、前半3ハロンのペースがそれぞれ37秒(プリンシパルS)、36秒(ダービー)とかなり遅いペースでサイレンススズカが抑え込まれていたと考えられます。

1998年の前半3ハロンのペースは一番遅い中山記念(G2)で36.2秒、金鯱賞で35.2秒と時計がかかっていますが、それ以外のレースは34秒台のペースです。その前の年は、15着と惨敗したマイルチャンピオンSでこそ前半3ハロン33.2秒のペースでしたが、ほとんどのレースが35秒台となっています。前半のペースは1998年になって一段ギアを上げたような走りになっています。つまり、3歳の時は才能が桁外れだったが故に陣営が扱いに迷ったとも言えます。

生まれた時期が遅かった

もうひとつが5月生まれとサラブレットとしては遅い時期に生まれたことに理由があると考えられます。1997年の2月に新馬戦でデビューし、そのまま皐月賞のトライアルレースである弥生賞に向かわざるをえなかったため、レースに対する未熟さが表れても仕方がないと言えるでしょう。他の馬とは半年遅れてレースで試しながら脚質を模索していた時期が3歳だったと言えるでしょう。

クラシックを一度も勝てなかった最強の馬。圧巻のレース展開と躍動感のある走行フォームの記憶を胸にファンは今でもサイレンススズカに勝てる馬はいないと信じています。