1998年11月1日第88回天皇賞(秋)。サイレンススズカにとってはこの年最大の目標としてきたレースでした。

枠順、コース、相手、状態・・・負ける要素がないレース

天皇賞(秋)が開催される東京競馬場芝2000mは特殊な難解コースで、2コーナーまでの距離が短いために外枠を引いた逃げ馬は圧倒的に不利と言われています。抽選の結果、サイレンススズカの引いた枠順は1枠1番。

前走の毎日王冠では文句なしの勝利をおさめ、今回の天皇賞秋は得意の左回2000mという負ける要素がない状態で決まった1枠1番の枠順は、サイレンススズカの勝利を決定的にしたかのようでした。

しかも、前年勝利馬のエアグルーヴはエリザベス女王杯に回り、毎日王冠で対戦したエルコンドルパサーとグラスワンダーは当時外国産馬であったために出場資格がありませんでした。つまり、宝塚記念や毎日王冠より相手が格下となったと言えます。

レース前のインタビューではいつもポジティブながら控えめな発言をするサイレンススズカ鞍上の武豊騎手はいつになく強気でした。「天皇賞の歴史になるようなレースをしたい」。まるでサイレンススズカの強烈な魅力に取りつかれているかのような、そして、サイレンススズカが最強であることを確信しているかのようなコメントでした。

武騎手の厩務員の証言によると、レース前のサイレンススズカは過去最高の状態でした。橋田調教師は4歳(現在表記)のサイレンススズカは天候に左右されず、自分の走りたいように走って展開を作るため、負ける気がしなかったと語っています。ファンはすでにサイレンススズカの相手探しに余念がなく、レース前は勝利を確信する人が多かったのです。

世紀の大逃げの結末

ゲートが空くと武騎手の宣言通りの逃げ展開で、前走の毎日王冠を上回る前半1000m57.4秒のラップで爆走しました。3コーナー手前では2番手サイレントハンターに10馬身差、さらにそこから3番手まで5馬身差だったため、カメラがどんどん引きで撮影してもサイレンススズカの後続馬を映すことができず、中継していた塩原恒夫アナウンサーが「これだけ(カメラが)引いても後ろが見えない!」と絶叫するほど2番手の馬と大きな差がありました。

ファンの期待通り、いや期待以上の展開に、サイレンススズカが直線に向く前から競馬場には大きなうなりのような歓声が沸き上がりました。しかし、感嘆の声援もつかの間、最終コーナー手前で快調に飛ばしていたサイレンススズカが、ガクンとつまずいたかのような体勢となり、そのまま武騎手の誘導で左足を浮かせたままでコースの外へ退いたのです。その時後続馬の騎手の耳にも「ボキッ」という音が聞こえたと言います。原因は左前脚の手根骨粉砕骨折で、レース後、予後不良のため安楽死処分という最悪の結末になりました。

競走馬となるべく交配されたサラブレットは、速く走るための細い脚を持って生まれます。その細い脚で400~600kgの体重を支えるため、静止している場合でも脚1本に100kg以上の負荷がかかります。そのため、サラブレットの脚は「ガラスの脚」とも呼ばれ、競争生活を続ける上で、故障のリスクが常にあります。

そして、競走馬が何らかのアクシデントで骨折した場合、状態によっては他の脚でその分の体重を支え切れなくなり、他の脚にも負重性蹄葉炎(ていよう えん)や蹄叉腐爛(ていしゃふらん)を発生し、自力で立つことができなくなるため、回復が困難であると診断された馬については予後不良として薬殺による処分がされることが多いのです。

骨折してなお、倒れなかった強さ

驚くべきはサイレンススズカが骨折したにも関わらず、レースを中止した後も3本脚で立ち続けたことです。他の馬ならばあのようなスピードで走って骨折したら立っていられないだろうと言われています。アクシデントが発生した最終コーナーでは後続の馬が迫ってきており、もしサイレンススズカが倒れたら武騎手は後続の馬群の前に投げ出され、命の危険がありました。

後に武騎手はインタビューで「あれだけのスピードで骨折して倒れない馬はそうそういない。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。」とコメントしています。3本脚となっても立ち続けていられるだけの強靭な肉体を持ち、また、あれだけの故障が発症したにもかかわらず、激痛を受けながらも淡々とレースを中止し、静かに競技場を去った姿は気高く感じられました。

本能が肉体の限界を超えた?故障の原因

何故このような故障が発生したのでしょうか?
武騎手は「原因はわからないのではなく、“ない”」と答えており、馬の状態からして故障はあり得なかったという見解を示しています。

オーバーペースが負担となった?

一方で天皇賞(秋)の大差での逃げが馬に負担を与えたという説もあります。前走の毎日王冠と前半1000mのペースとラップタイムを比較してみましょう。
天皇賞(秋)(G1・東京芝2000m) :57.4秒(13.0 – 10.9 – 10.7 – 11.2 – 11.6 – 12.0 – 13.4 – 12.9 – 11.2 – 12.4)※サイレンススズカは1400m~1600m付近で競争中止
毎日王冠(G2・東京芝1800m):57.7秒(12.7 – 11.0 – 10.9 – 11.4 – 11.7 – 12.1 – 11.6 – 11.4 – 12.1)
同じ東京競馬場で1800mの毎日王冠より、2000mの天皇賞(秋)の方が前半のペースを上げています。最初の100mはゆったり入り、その後のラップタイムは毎日王冠の残り3ハロンになるまで毎日王冠を上回り続けます。これがカメラでは収まりきらない大逃げの実態で、サイレンススズカが最高の身体のコンディションで自分の好きなように目一杯走った結果、脚に負担がかかりすぎた可能性もあります。

負荷が積み重なり金属疲労を起こした?

また、天皇賞(秋)のレースだけではなく、これまでのレースで脚に負担のかかる走り方で金属疲労と同じような現象を起こしたという説です。最初にサイレンススズカの鞍上を務めた上村洋行騎手は神戸新聞杯(G2)で勝利間違いなしというところで直線追わなかったことから後続のマチカネフクキタルに刺され、降ろされてしまいます。後に上村騎手は自身のブログの中で、サイレンススズカの繊細さに言及し、神戸新聞杯のレースで追わなかったのは自分の油断もあるが、「なるべく余力がある状態でゴールをさせたかった」とコメントしています。このコメントからもサイレンススズカの脚の状態に不安を持っていたことが伺えるのではないでしょうか。

このサイレンススズカの悲劇は武豊騎手にも深いショックを与え、レース後は泣きながら泥酔したと言われています。「サイレンススズカならG1馬相手にものすごい勝ち方ができると思っていたのに一瞬の夢で終わってしまった」とインタビューでコメントしており、サイレンススズカに対して、骨折がなければ才能をもっと発揮できたであろう悔しい気持ちを吐露しています。

サイレンススズカが生きていたら・・・」というのは競馬ファンなら誰しも思う「たられば」で、世界の舞台で活躍できたのではないか、サンデーサイレンス後継馬として種牡馬としても活躍したのではないか。ファンとしての思いは尽きないのですが、希代の快速馬サイレンススズカはあたかも激痛を感じていないかのようにただただ、静かに幕を引いたのでした。