笠松から中央競馬へ移籍し、ハイセイコー以来の人気を博したオグリキャップでしたが、
1989年はマイルチャンピオンSからジャパンCの連闘という厳しいローテーションが問題となり、その後の有馬記念で5着に沈み、疲労の蓄積が原因ではないかと指摘されました。
1990年はローテーションも改善されましたが、天皇賞では6着、ジャパンCでは11着の大敗。
限界説がささやかれ、引退させるべきという声も多い中で有馬記念の参戦が決定されました。
ラストランの有馬記念でオグリキャップはどのようなレースを展開したのでしょうか。
オグリキャップ有馬記念の結果は?
1990年12月23日、第35回有馬記念でのオグリキャップは惨敗が続いたこともあり、ファン投票では1位に選出されたにもかかわらず、4番人気、単勝5.5倍と評価は低くなっていました。
当日は師走らしい澄み切った空の下、すでに傾いた太陽の光の中で、オグリキャップは最後から2番目に落ち着いてゲートに入ります。
スタートから序盤、オサイチジョージとヤエノムテキが逃げ、オグリキャップは中団にいて馬群の外を通ります。
残り2ハロンで先頭に立つと、メジロライアン、ホワイトストーンを振り切り、そのままゴール板を駆け抜けて勝利。
武豊騎手は鞭を持った左手を高らかに突き上げました。スタンドは怒号のような大歓声の後に、「オグリコール」が響き渡り、その中を5月の安田記念以来の騎乗だった武豊騎手がゆったりとウイニングランをして歓声に応えました。
惨敗が続いた後の勝利だけに「奇跡の復活」と呼ばれ、ファンに深い感動を与えました。
実は八百長だった?!
テレビ中継で解説をしていた大川慶次郎氏は、
「想像できない好走。豊君の魔術としかいいようがない」
とコメントしたように、この年の有馬記念のオグリキャップの勝利については疑問視する声が多々ありました。
また、一部では八百長ではないかという意見さえあったのです。それはどういった理由からなのでしょうか。
超スローペース
大川慶次郎氏は、有馬記念のタイム2分34秒2が当日同じ芝2500mで行われた条件戦グッドラックH(900万下)のタイム2分33秒6より遅いことを指摘し、「お粗末な内容」と批判しています。
翌年1991年有馬記念で14番人気のダイユウサクがまさかの勝利をおさめた時は2分30秒6、グッドラックHは2分33秒5でした。
また、前年の1989年イナリワンが勝利した有馬記念のタイムが2分31秒7でグッドラックHは2分34秒4と両レースのタイムには開きがあり、1990年の有馬記念がかなり特殊なレース展開だったと言えます。
オグリキャップ体調の悪さ
オグリキャップは秋から骨膜炎に苦しんでいたほか、天皇賞(秋)のレースに向けてテレビの密着取材が入ったため馬に多大なストレスがあったと言われています。
さらに、有馬記念のレース直前もかなり状態は悪かったと一緒に調教を行ったオースミシャダイ厩務員や、有馬記念に同じく出場したヤエノムテキの厩務員が証言しています。
クラシックホースの不出場
3歳(現在表記)の馬は斤量が軽く、秋から冬にかけて大きく成長するため、有馬記念で有利な面がありますが、
この年はクラシックレースに勝利したハクタイセイ、アイネスフウジン、メジロマックイーンが出場せず、菊花賞2着のホワイトストーンが1番人気に推されるなど、メンバーがかなりの格下となりました。
このような材料が揃ったことから八百長疑惑がいまだくすぶっている状態ですが、一方で、オグリキャップの担当医師がレース直前の復調を証言し、武騎手の有馬記念での騎乗技術が評価されるなど、レース展開にうまくはまり、武騎手が馬の今持てる力を120%引き出した結果とも言えます。
こういった八百長疑惑が出ること自体、ファンがどれだけオグリキャップの勝利を見たかったのかという期待の表れとも言えるでしょう。
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