不死鳥のごとく何度もよみがえるトウカイテイオー。シンボリルドルフの驚異的な強さを受け継ぐトウカイテイオーの産駒を見てみましょう。
トウカイテイオーは1993年第38回宝塚記念(G1)で奇跡の勝利をあげ、翌年左前トウ骨を再び骨折してそのまま引退となりました。
その後、約9億円のシンジケートが組まれて社台スタリオンステーションで種牡馬入りしました。
トウカイテイオー産駒全体成績
産駒全体の2015年時点での成績を見てみましょう。
年度:出走頭数:勝率
・1998年:17頭:8%
・1999年:66頭:8%
・2000年:87頭:7%
・2001年:97頭:8%
・2002年:82頭:8%
・2003年:91頭:8%
・2004年:86頭:6%
・2005年:101頭:8%
・2006年:109頭:5%
・2007年:95頭:6%
・2008年:88頭:3%
・2009年:68頭:5%
・2010年:41頭:8%
・2011年:29頭:4%
・2012年:21頭:3%
・2013年:10頭:2%
・2014年:4頭:5%
・2015年:2頭:0%
芝レースの勝率が10%を超えるディープインパクト産駒には劣るものの、まずまずの成績です。
重賞も通算7勝しか達成していませんが、2002年にトウカイポイントがマイルチャンピオンS(G1)、2003年にヤマニンシュクルが阪神ジュベナイルF(G1)を勝利するなど、G1馬を輩出しています。
それではトウカイテイオーの代表的な産駒をご紹介します。
トウカイポイント
トウカイポイントの母マッチポイントは、父がフランスのG2ドーヴィル大賞で優勝したリアルシャダイで、母マックホープもフクニチ新聞杯(900万下)で勝利があります。
トウカイポイントは盛岡競馬場でデビューし、5戦目より中央競馬へ移籍しました。
気性が荒かったため5歳で去勢し、それまで2300m~2600mの距離のレースを出走しましたが、去勢してからは1600m~2000mの距離のレースにシフトします。
2002年6歳の時に中山記念(G2)を8番人気から勝利すると、同年の秋マイルチャンピオンS(G1)を11番人気から勝利します。
思えば父トウイカテイオーも1992年有馬記念では1番人気でまさかの11着。
しかし、そこから1年の休養明けの1993年有馬記念では4番人気で奇跡の復活。この父のドラマ性をトウカイポイントも受け継いでいるのでしょう。
ヤマニンシュクル
ヤマニンシュクルの母ヤマニンジュエリーの父はイギリスクラシック三冠馬のニジンスキーです。
函館でデビュー後、阪神ジュベナイルF(G1)で勝利。
桜花賞3着、オークス5着でその後も重賞レースに出走して堅実に走りました。
5歳の2006年エリザベス女王杯ではカワカミプリンセスが強引に突っ込んできたことにより進路を妨害され、12位入線・11着(カワカミプリンセスが12着に降着)となりました。
その時に体勢を崩して右前浅屈腱不全断裂を発症し、競争生活続行を断念しました。
北海道の錦岡牧場で繁殖牝馬となりました。
母系が優秀な血統と、トウカイテイオーの血統への期待から、ディープインパクト、アドマイヤムーン、スペシャルウイークが配合され、産駒が地方競馬、障害等で出走しています。
ストロングブラッド
母ワイプザアイの父ガルチはアメリカでG1を7勝あげています。
また、産駒のサンダーガルチはケンタッキーダービー(米G1)を勝利し、イーグルカフェはNHKマイルカップ(G1)、ジャパンカップダート(G1)を勝利するなど、種牡馬としても活躍しています。
2002年の新馬戦で勝利したものの、その後の共同通信杯は9着となり、3歳2002年の時は主に500万下でのレースが続きます。
2003年、カブトヤマ記念(G3)で重賞初制覇。
その後長期の休養を2回はさみながら地方でも活躍し、2005年には船橋のかしわ記念(G1)で勝利しました。引退後は去勢されて乗馬になりました。
トウカイポイント、ストロングブラッドとも去勢されており、トウカイテイオー産駒の種牡馬は1頭もいません。
トウカイテイオーの美しい容姿と持って生まれた素質を受け継ぐ種牡馬の出現にファンは期待をしています。
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