2000年5月、雨降る土曜日の重賞目黒記念(G2)。
前回勝利した阿寒湖特別(900万下)から2年8か月、29戦ぶりに快勝したステイゴールドは熱狂的ファンの大歓声に包まれました。
このレースから乗り替わった武豊騎手が「それにしてもすごい歓声ですね。
こんなに人気があったことが一番の驚きです。」とコメントしたほど。
走っても走っても、もう一歩で届かなかった勝利。それでも挑戦し続けるステイゴールドはファンを勇気づけました。
管理調教師の池江泰郎調教師が「愛さずにはいられない。
やっぱり、そういう馬やったんやなあ」と引退を惜しんだステイゴールドはどんな馬だったのでしょうか。
ステイゴールドはどんな馬?
ステイゴールドは1994年北海道白老町の白老ファームで生まれました。
名前はスティービーワンダーの名曲で映画の主題歌にもなった「Stay Gold(輝きはそのままで)」にちなんで名づけられました。
池江調教師は「小柄で体は薄かったけど品のいい馬」という印象を持ったといいます。
良血でありながら未勝利を突破するまで6戦、重賞勝利するまで38戦、G1勝利するまで50戦かかったのは気性の荒さが原因と言われています。
当初はおとなしい馬でしたが、人を乗せて走るようになると後脚で立ち上がったり、周囲の馬に乗りかかろうとしたりと、ヤンチャぶりを発揮するようになります。
長く主戦を務めた熊澤騎手はステイゴールドが死亡した時のインタビューで、調教で厩舎から坂路に向かう途中、逍遥馬道でよく立ち上がって振り落とされたと思い出を語りました。
普通の馬の場合は立ち上がるだけで終わりますが、ステイゴールドは垂直に立ったまま後脚だけで歩いたのだそうです。
気性の荒さはあるにせよ、2本足でバランスを取りながら歩けるだけの驚異的な身体能力を持っていました。
また、人がそばを通っただけで襲い掛かろうとするため、ステイゴールドの馬房の扉はいつも閉まっていました。
京都競馬場の右回りのコースを左に旋回して熊澤騎手が落馬したこともあります。
「気の強いところに何回も泣かされただけに思い入れがある馬」と熊澤騎手は語っています。
また、池江調教師は最初の頃は調教でもレースでも困らされ、G1勝てる馬になるとは思わなかったといいます。
そして初の海外挑戦ドバイシーマC(G2)では、輸送でやせ細っても並み居るG1馬を蹴散らしたステイゴールドの根性と辛抱強さは底知れないと評価しています。
ステイゴールドはどんな血統?
ステイゴールドは父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ。
サンデーサイレンスは日本の競走馬を世界レベルに引き上げた立役者ですが、
ステイゴールドは父よりも母ゴールデンサッシュの雰囲気があったと白老ファーム場長(当時)の服巻滋之氏はコメントしています。
母ゴールデンサッシュの父ディクタスはフランスのジャック・ル・マロワ賞(G1)を勝利しました。
ゴールデンサッシュ自身は中央競馬で5戦0勝に終わりましたが、全兄にはG1を2勝しているサッカーボーイがいます。
ステイゴールドは体が小さく、ジリ脚でもっと体の小さい馬たちにも追い抜かれていました。
熊澤騎手によると大人の体ができあがったのが6歳後半と言うほど成長が遅かったのですが、これはゴールデンサッシュ産駒に共通してみられる傾向だといわれています。
ゴールデンサッシュは1993年から2012年まで元気に子供を産み続け、関西TVローズS(G2)に勝利した全妹レクレドールや淡路特別(1000万下)に勝利した全妹キャッチザゴールドを送り出しました。
現役時代なかなか勝てなかったステイゴールドですが、類まれなる素質があったことはオルフェーヴル、ゴールドシップなどの産駒たちが証明しています。
名馬といえる成績を残した馬は種牡馬になるために早めに引退してしまいますが、ステイゴールドは気性難ゆえに才能が開花せず、7歳まで第一線で走り続けました。
これがファンにとってたまらない魅力となったのでしょう。
コメント