2006年の引退レース有馬記念を勝利し7冠を達成したディープインパクトはその名前が流行語大賞候補となるほどの社会現象を巻き起こしました。
多くの人に夢と感動を与えたディープインパクトの父母はやはり強かったのでしょうか。
G1を5勝した父サンデーサイレンス
ディープインパクトの父であるサンデーサイレンスはその馬1頭で日本の競馬界を根底から塗り替えた「血の革命者」だと言われています。
「静寂な日曜日のミサ」に由来する名前のサンデーサイレンスは、1986年アメリカ合衆国の牧場ストーンファームで生まれました。
父はノーザンダンサーの近親にあたるヘイロー、母はウィッシングウェルで、初仔でした。
生まれたときから、体格が貧相で、後ろ脚が内側に湾曲していました。
脚が湾曲しているのは下半身の推進力に欠けるとされていました。
このように見栄えが悪かったサンデーサイレンスはセレクトセールへの出品が許されず、一般部門に出品されました。
そこでは安い値段しかつかず、ストーンファームの経営者がたまらず買い戻すということを2回繰り返したのだそうです。
このようにデビュー前は信じられないほど評価の低かったサンデーサイレンスですが、
デビューの翌年、アメリカ3冠のうち2冠であるケンタッキーダービー、ブリークネスSを含むG1レース5勝を達成し、エクリプス賞年度代表馬に選出されました。
ブリーダーズ・カップで騎乗したクリス・キャロン騎手はサンデーサイレンスの走りを「注意して脚元を見ていないといつ手前を変えたかわからないほど走りが滑らか」と評しています。
種牡馬としての活躍は誰もが認めるところで、12世代の産駒で生涯で1度しか出場できないクラシックレースにおいて皐月賞馬を7頭、ダービー馬を6頭、菊花賞馬を4頭輩出しています。
受胎しながらもG1勝利の母ウインドインハーヘア
ディープインパクトの母である「彼女の髪を通り抜ける風」と名付けられたウンドインハーヘアは、アイルランドで生まれ、イギリスで調教されました。
イギリスのG1イギリス・オークスで2着に入ったのち、ドイツのG1アラルポカルでなんと初仔を受胎中にもかかわらず優勝してしまったという鉄の女性ならぬ鉄の牝馬です。
翌年生まれたこの初仔がレースで1勝もできなかったため、日本のノーザンファームへ輸入されるチャンスがきたのだそうです。
繁殖牝馬としての主な成績としては以下の通りです(ディープインパクトを除く)。
・レディブロンド(スプリンターズS-GI 4着)
・ブラックタイド(スプリングS(G2)1着)
・オンファイア(東京スポーツ杯2歳S(G3)3着)
・ニュービギニング(ホープフルS(G3)3着)
・トーセンソレイユ(エルフィンS(OP)1着)
・モンドシャルナ(ラジオNIKKEI杯(G3)6着)
ディープインパクト以外の産駒は抜群の成績を残したわけではありませんが、ブラックタイドやオンファイヤは種牡馬として活躍し、重賞を勝利する産駒を送り出しています。
また、ディープインパクトの活躍によってウインドインハーヘアは繁殖牝馬の血統としても評価され、海外で出産した牝馬は全て日本に輸入されました。
こうして日本にやってきた牝馬は繁殖牝馬として活躍しており、グリントインハーアイ、ヴェイルオブアヴァロン、レディブロンドは重賞馬を送り出しています。
アメリカの最強種牡馬とも言われたサンデーサイレンスと、ヨーロッパを代表する血統のウインドインハーヘア。
両馬が交配することは日本以外では実現できなかったと言われています。この奇跡がディープインパクトの活躍を生み、世界で勝負できる土壌を作ったと言えるでしょう。
父サンデーサイレンスも祖父ヘイローも気性が荒く、扱いが難しかったそうですが、ディープインパクトの厩舎でのあだ名は「お坊ちゃまくん」でとても人間好きで優しい馬だと言われています。
ディープインパクトが優秀な牝馬と配合されて、さらに歴史を塗り替えていくでしょう。
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